逆回転する惑星

熊本日日新聞共同通信2009.11.05夕刊より。
すばる望遠鏡が発見。
恒星の自転とは逆向きに、その恒星の周囲を公転する惑星。
はくちょう座の方向に1千光年離れた惑星。
それにしても、なぜそんなことに?


ちょっと勝手な推理。
普通、そうはなりそうにない気がするので、その惑星は外から飛んできて恒星の重力に捕まったのではなかろうか、とか?
あるいは天体と天体が衝突して、その衝撃で逆回転するようになった、とか?

ピアニストがすごく速く指を動かせるわけ

ピアノ演奏の映像などを見ていると、信じられないくらいの速さで指が動く。
自分で机をたたいてみると、指が絡まってしまう感じ。
だんだんぎこちなくなって、動かしにくくなっていく。
もちろん訓練のたまもののわけだが、なぜあんなに速く動かせるのだろう?


新聞記事に載っていました(岐阜新聞共同通信社2009年10月30日朝刊)
どうやら指の問題ではなく、脳の問題なのだとか。
練習を積むと、小脳や、大脳の運動野の細胞が増える。
ピアニストは脳細胞の数が一般人の1000億個より50億個多いらしい。
練習→ある速さで指を動かすための脳細胞の数が少なくてすむ→余りの脳細胞を使ってさらに速く動かせる
というような連環が発生する。


さらに、ピアニストは肩を動かして指の筋肉にかかる力を逃がし、筋力を使わず重力でひじを動かして省エネしているのだとか。


ゲーマーの指の動きも、同様のメカニズムなのでしょうね。

もしもプレーリードッグがゴキブリを駆逐したら?

そんなことはありえないでしょうけど、もしもプレーリードッグ外来種として繁殖し、それが原因でチャバネゴキブリ(べつにヤマトゴキブリでもなんでもいいけど)が絶滅の危機に瀕したら、日本人はどうするでしょう?
なんとなくプレーリードッグの駆除には熱が入らないような気がします。
まあ、相手がゴキブリでなくともプレーリードッグを駆除する気になれるかどうかということになるとなかなか疑問。


関係ないですけど、一度でいいからギュッとしてみたい動物の、個人的1位はヤマネ、2位はモモンガ、プレーリードッグはその次のグループあたりに位置するかなあ。

ストレス解消

ストレス解消というのは、要は違うタイプの他のストレスで前のストレスを紛らわせてしまうことかもしれない。
軽いストレスは、他のストレスで上書きできるのでは?
スポーツにせよ、模型作りにせよ、読書にせよ、映画鑑賞にせよ、ストレス解消的なかなりのものが新たなストレスとなりうる性質を持っているように思える。
たといボーッとなって座っているだけでもある程度のストレスだろうし。
そう考えると、ストレスはストレスにより解消されるのでは、と最近考えている。
休みすぎた後は、仕事をすることによってストレスが解消されたりするのだ。
ちがうかしら?なんか、当たっているような気がするのだけど。

「人類がいる世界」という環境

病原菌の中には宿主を殺してしまう、おバカな連中がいるという。
ならば人類は?
なんぼなんでも地球という宿主は殺せないだろう。
その意味では、病原菌よりはマシに見える。
しかし、地球にある「自然」を殺すことは可能だし、その道を歩んでいるように見える。
要するに、宿主は殺さないけど、自分の住める環境を壊そうとしている。
件の病原菌とさほど違わないか。
というか、病原菌は何かの勘違いで宿主を殺しているのだろうが、人類はわかってて自分の生存できる環境を破壊しているところは、かなりすごい。
自ら絶滅に向かっている、自殺志向の強い生物。
最近の若者は生命の大切さを知らないとよく言われるけど、人類自体があまりそれはわかっていないのだろうから、仕方ないことか。
滅びの姿は美しいものだけど、人類の志向は美にあるのかもしれない。


人は天然自然のものだとはGガンダムの主人公ドモン・カッシュのセリフだったか?
当然、天然自然のものではある。
人はすでに生態系から外れてしまったという考えがある。
おそらく外れてしまっているのだろう。
天然自然のものであり、生態系の外にある。
人とはなんだろう?


人以外の生物にとっては、それは「環境」なのではなかろうか?
「人類が存在している世界」という、ひとつの前提、環境。
そう考えるとけっこうわかりやすい。
人類はすでに「環境」という存在になってしまった。
神様の次くらいの格でしょうか?
すごいですね。
もっとも、この「環境」は自らの滅びを志向している、なかなかやっかいな「環境」なのだけど。


発達した交通機関は、世界を一様な姿に近づけていく。
人類は世界各地に他所の生物をせっせと運んでいる。
外来種は在来種を駆逐することも多い。
もっとも、航空機と、糸で空を飛ぶ蜘蛛や、渡りをする鳥の間にはそれほど差はないかもしれない。
ともあれ、「人類がいる世界」という環境により世界は一様なものとなる。
それもまた、自然なのではあるのだろう。


もっとも…
いったん世界中の生物相が完全に一様なものになったと仮定したとして。
その後は、地域により、あるいは地域ごとの人類の生き方により、環境は異なることになるから、生物たちはさらに進化を続け、「人類の存在する世界」という環境に合わせた姿となって多様化することになるのだろう。
なんせすでに人類は「環境」なのだから、当然そうなるのだ。


個人的には地球上で起こることに関しては地学的なスパンでものを考えている。
1億年くらいが最低のスパンという感じかもしれない。
10年20年、100年200年のスパンで見ると大きな変化であっても、億年の単位で見ると大した変化ではないとは言える。
守らねばならないと感じている沖縄や小笠原、ハワイ諸島などの生態系も、億年単位で考えると、もう島自体が存在しない可能性すらあるし。最初にできたハワイは今はカムチャッカあたりの海底に埋もれているそうだし。
生物の大発生(ビッグバン)というのもあったし、大絶滅というのもあった。らしい。
全盛を誇ったかに見える恐竜も絶滅したらしい。あるいは、数億年も続いた恐竜はとんでもない知能と技術を持つにいたり、みんな宇宙空間に飛び出していってしまったという可能性もないことはない、かもしれない。


人類は、せいぜい数万年しか存在できない仇花かもしれない。
億年単位で考えたら、もう存在していない程度のものかもしれない。
個人的にはその可能性が強いのではないかと感じている。というより、あと数万年続けばえらいもんやなあ、と思ってる。
だからまあ、人類は好きなことを好きなようにやって、勝手に滅びたらいいのだろうとも考えている。
そしたらまた、「人類のいない世界」が戻ってくるので、生態系も前と同じようなことになるかもしれない。
もっとも、人類が滅びるときには相当数の生物を道連れにしてしまだろうけど、そこはそれ、「人類がいる世界」という環境で暮らしているわが身の不運を嘆いてもらうしかないかしら。
さらにもっとも、その後人類に輪をかけて凄い知的生命が発生するのかもしれないけど。


宇宙単位でものを考える人にとっては、地球が存在するかどうかくらいが最低限意識するもので、何が起こっていてもあまり意味はないかもしれない。
宇宙関係の科学者の中には、そんな眼を所持できている人がけっこういる感じだ。

脳についての本を読むと自分が見える

脳に関する研究の記述や、本を読むのは楽しい。
脳一般について書いてあるのだけど、だんだん自分自身のことが理解できてくる。
自分が見えてくる。


でも、
ということは、
ふだんは「自分」という殻の中に入っているから自分しか見えず、「自分」という特殊性を感じているのだけど、じつは、誰もそんなに異なったものではない。
ということかしら。


ある意味、怖いというか、残念な結果になる読書なのかもね。

『恐竜博画館』ヒサクニヒコ…新潮文庫(1984年)知的で刺激的な一冊

uwanosora2009-09-30

この時点での最新の研究成果を、著者ならではのキュートなイラストを添えて解説。
でも、恒温動物説も、始祖鳥は鳥の先祖ではなかった説も入っていますし、子育て恐竜も出てきますので、今でも問題なく読めると思います。


いわゆる恐竜図鑑ではなく(同じ著者で素晴らしい図鑑もあります)、あくまでも恐竜研究がどうなっているのかの本です。
多くもない化石を元にした研究なので、解釈も千差万別。ミステリの謎解き合戦みたいなものですね。


著者はイラストレーターだけに、それらの成果がどういう姿になって表現されるかにこだわりがあって、なるほどなあと刺激を受けます。
逆に、このかたちならこうであるはずという提起もまた、画家ならではかもしれません。


楽しい時間をもらえました。
たぶん絶版なのはもったいない。